荒尾梨の歴史とは?

成生梨新高ジャンボ梨

全国各地で作られている梨。
日本で一番梨が作られているのは、ふなっしーでおなじみの千葉県です。
そして、茨城、栃木、福島、鳥取と続きます。

秋になると梨狩りに出かけ、もぎたての梨を堪能する人も多いことでしょう。

梨にはたくさんの品種がありますが
贈り物として人気なのは、新高(にいたか)という品種です。

たっぷりと甘い果汁、そしてその見栄えする大きさから
贈答品として喜ばれているのです。

新高も全国でたくさん作られている梨ですが
梨産地として100年以上の歴史を誇る熊本県荒尾市
新高の名産地でもあります。

荒尾市の新高は、荒尾ジャンボ梨と呼ばれ
今では全国的に有名な梨として知られています。

なぜ荒尾市は新高の名産地となったのか
その歴史から紐解いてご紹介します。

荒尾梨が100年以上前から作られている熊本県荒尾市

荒尾梨マンホール

荒尾市は、熊本県の北西部に位置しています。
有明海に面し、豊かな水源と穏やかな気候に恵まれているので
昔から最適な農業環境を広く有していました。

市内には、るろうに剣心のロケ地ともなった 世界文化遺産の万田坑や
国内有数の広さを誇る荒尾干潟 があり
観光地としてもにぎわいを見せています。

荒尾干潟

荒尾梨の歴史は、今からおよそ110年前の明治41年(1908年)に
松尾茂三郎氏と関島増男氏が植えつけたことに始まります。

大正時代に入ると生産農家が多くなり、
新高は 昭和の初め頃から生産されるようになりました。

伝統の荒尾梨

そして今では 全国有数の“新高”の栽培面積を誇るほどになり
荒尾ジャンボ梨は、荒尾のシンボルとなっています。

荒尾梨はなぜここまで有名になったのか

成生梨と子供

梨作りには適した環境である荒尾市。
現在では、150戸もの梨農家がたくさんの品種の梨を栽培しています。

毎年秋になると、荒尾の道沿いにはたくさんの直売所がオープンし
連日たくさんの買い物客でにぎわいます。荒尾の秋の風物詩ともいえる光景です。

梨のシーズンになると、各地にある梨の観光農園は梨狩りをはじめます。
荒尾おもて梨直売会が“荒尾梨でおもてなしキャンペーン”も開催しています。
荒尾梨は、荒尾の町作りには欠かせない存在なんですね。

荒尾梨が有名になったのには、炭鉱の歴史も深くかかわっています。
荒尾は明治期より、三井三池炭鉱の1つとして大変栄えていました。

荒尾炭鉱

炭鉱で働く為に全国各地から集まった人々は
自分の故郷に「荒尾ジャンボ梨」を次々と送っていました。
そこから一気に「荒尾ジャンボ梨」の名が広がったとも言われているのです。

荒尾梨を故郷に送ることは、炭鉱で働く人々にとっては
一つのステータスでもあったそうです。

競い合うように何箱も送った
自分専属の梨農家がいたりし、自慢していたのだとか。

荒尾梨を自然栽培で育てている高塚さんの想い

高塚成生と荒尾梨

梨はとてもデリケートな果物です。
なので、害虫や病気から守るために、農薬が欠かせません。

通常、梨作りにおいては年40~50回以上の農薬がまかれるといわれています。
しかし農薬は、決して体に良いものとはいえません。

2013年に公開された“奇跡のリンゴ”のモデルとなった木村秋則氏
世界ではじめて無農薬のリンゴ栽培に成功した人ですが

木村氏が無農薬栽培に挑戦したのは
度重なる農薬使用の影響で突然体に不調をきたした妻の存在がきっかけでした。

荒尾市の梨農家、高塚成生さんも
同じく農薬の使用には健康被害の懸念を抱いていました。

高塚さんは、自身のお子さんがアレルギーだったということもあり
無農薬栽培には特別な思い入れがあったのです。

「子どもたちが安心して食べられる梨が作りたい…!」
35年前に親から農園を継いだ高塚さんは、当時からこの想いを抱いていました。

安心安全の梨を作り出すべく何本もの気を枯らしながら試行錯誤をし
農薬を最大限抑えて作る栽培方法を編み出しました。

2017年は、農薬を全く使用せずに梨を育てることにも成功
高塚さんの想いは見事に実現したのです。

成生梨

高塚さんの作った梨は、高塚さんの名前にちなんで
“成生梨”(せいじょうなし)と名付けられました。

高塚成生の荒尾梨

甘くジューシーな果汁と、ベタつかない爽やかな後味が特徴の成生梨。
高塚さんが作った成生梨は、贈り物としても大変喜ばれています。